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ビューティー・インサイド

いま台湾出張中のアニーさんが、1ヶ月前に投稿したエントリをきっかけに、

2015年に韓国で公開されたパク・ジョンヨル監督の映画『ビューティー・インサイド

を観たのです。これは面白かった。

 

 

本作のテーマの核心についてはアニーさんがすでに触れているのでそちらに譲ります。

ぼくは一つ気になったことを書くにとどめて、

この映画から連想ゲームのように思い出した別の映画を紹介したいと思います。

 

まず、『ビューティー…』は何といっても、

「毎日目覚めるたびに主人公の体が変わってしまう」という設定につきます。

ある意味これは発明です。

体が入れ替わるという設定はよくあります。

最近では新海誠監督の『君の名は。』もその一つ。

これらは17世紀の哲学者デカルトがたどりついた心身二元論に基づいているといえます。

つまり、ハードとしての身体にソフトとしての精神がインストールされているという、

「人間」を説明する素朴なモデルです。

「心」のセットアップに不具合が起きて物語が動きだすわけです。

 

この映画のすごいところは、「心」は一定でそれが乗る「身」が変わっちゃうという、

これまで誰もやらなかったぶっ飛んだ設定を、科学的な説明を加えることなく、

説得力のあるストーリーテリングで成立させていることです。

(冒頭のたった4分足らずでその世界観と主人公ウジンの生態が描かれます。)

 

いちばん違和感(悪い意味ではなく)を感じたのは、

ウジンが外国人(韓国人以外)の体に替わったときにその国の言葉で話すことです。

ぼくは本作を2回、2度目は日本語吹替版で観たのですが、

それはヒロインのイスを演じるハン・ヒョジュさんの美しさに、

何度か字幕を読み落としてしまったからではなく、

外国語(日本語)で会話するシーン(日本の有名なあの女優さんが出演しています)

がどうなっているのか確かめたかったからです。

そこは真意を捨てて、うまくかわしていました。

(翻訳チームの腕の見せどころだったと思います。)

 

これはパク監督が言語を「心」の方ではなく「身」の機能だと

見なしていることに気がづいて、腑に落ちました。

心に起こる言葉を超えたモヤモヤとした意思を身体を通して表現するときに、

その身体が属する国籍の言葉で発声されるという仕組み。

これもまた素朴すぎるモデルですが、とても面白い考え方です。

 

本作はハリウッドでのリメイク版の話も出ているようですが、

その際これらの設定の精度がどれだけ上がってくるのか確かめてみたいと思いました。

 

この映画のラストシーン、とてもスタイリッシュなんですが、

二人の前途に待ち受ける苦労を想像するとちょっとやるせない気持ちになりました。

 

前置きが長くなってしまいました…。

紹介したいと言った作品は次回に取っておきたいと思います。

 

(K)